スーパーファミコン「かまいたちの夜」の思い出(後編)


「かまいたち文体」(筆者の造語です)について書いていきたいと思います。

 皆さんは、脚本の我孫子武丸氏の小説をお読みになったことはあるでしょうか。私は「かまいたちの夜」みたいな文体、内容を期待して「殺戮に至る病」を読んでみましたが、叙述トリックというタイプのミステリーで、かまいたちとは微塵も関係が無く少々がっかりした記憶があります。
 かまいたちの夜には、普通考えられる小説の手法が使われていません。あくまでもゲームを進めるために読ませる文章です。どのような特徴があるでしょうか。

 1.地の文なのに、透(主人公)がそれを発声したかのように扱われている箇所がある。
 2.「とかいう」という言い回しが頻繁に用いられる。
 3.透はごく普通の大学生という設定だが、はっきり言って間抜けである。

 1は主にギャグシナリオ(不思議のペンションに入らなかった場合)で用いられ、物語の核心に触れることはありません。
 2は、非常に大事です。なぜわざわざ「とかいう」などという又聞きのような言い方をするのでしょうか。試しに「とかいう」を広辞苑で引いてみますと、「(「格助詞「と」に係助詞「か」の付いたもの。多く、「言う」「聞く」などを伴う)内容が不確かである意を表す。」とあります。例えば「多分、美樹本とかいう人だろう」という文は、美樹本という名詞が不確かであることを意味します。
 なぜ非常に大事だと書いたかというと、透の語っていること(地の文)には不確かな部分が多々あるということです。これはミステリーを題材としたアドベンチャーゲームにおいて絶対欠かせない要素です。何もかも事実が詳らかになっているミステリーなど、誰も読まないでしょう。かといって、嘘を書くのもいけない。結果として辿り着いた結論が「とかいう」であった、というわけです。
 3は、2にも通じるところがありますが、透は決して(美樹本のように)冷徹な瞳を持った観察者ではありません。ごく普通の大学生ですからこれは当然でしょう。したがって「とかいう」を頻繁に使ったり、マシンガンで撃ち殺されたり、悪霊に十字架を投げたりするのです。もちろん、プレーヤーの選択に従って行動するのは確かですが、その選択というのも、全く先が読めない状態で選択するのですから、透は間抜けだなぁ、と笑いながら変な選択をして楽しめます。

 以上のように「かまいたち文体」について書いてみました。また、筆者はこのゲームで初めて『とかいう』という言葉を学び、実際に使うようになりました。不確かなことを不確かなままで表現するのにベストな言葉です。また、『とかいう』は皮肉を込めて使うこともできますがそれはご承知の通りです。

「不思議のペンション」に入るには、宝探し編である謎を解かなければなりません。筆者が「不思議のペンション」に初めて入れたのは2001年ごろだったかと思います。「かまいたちの夜」はもうすっかり遊び尽くしたと思っていたのですが、たまたまネット検索をして、秘密文書の存在を知りました。周りの人々はそんなの常識だと思っていたのかもしれません。
 秘密文書の隠し方もまた絶妙でした。あとほんのちょっと注意力を働かせていれば、私ももっと早く不思議のペンションに入れたでしょう。また、秘密文書に書かれている「『弟切草』の中に、チュンソフトのソフトは面白いというメッセージを仕込んだ」という意味の言葉も気にかかりました。
 私は以前よく「弟切草」のタテ読みができないか探しましたが、結局見つかっていません。「面白いゲームソフトでもあるのかと思って走った」という選択肢は存在するのですが、その前後でチュンソフトの名前が出てくることもありませんでした。もし秘密文書を発売後すぐに見つけていたとしたら、両方のゲームにどっぷりはまってしまい、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。(おわり)


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